音楽集

改造花アザミ_切り抜き3_convert_20170925142938
サウンドクラウドで公開中の自作音楽たちです。
曲にまつわる背景も少し書いているので
もし良ければご覧下さい。

本編は追記にあります。

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○回目乃日回目乃○

青い光を顔に受けて、目がチカチカした。昼間からカーテンを閉め切っているせいで、部屋には四角い形の一つの暗闇が出来上がっている。これが映画であれば、暗闇に浮かぶ病弱な顔が、幽霊染みた演出で映し出されるシーンだろうと思った。休日の昼間というと田舎の場合は死んだように静かで、この静寂の発生源を辿った先には猫の死体くらいならあるかも知れない。本当に、自分の押すマウスのクリック音くらいしか音が聞えなくて、落ち着いたり逆に不安になったりする。ほとんど習慣的にお気に入りページを押して巡回してゆく、そのほとんどは目の端へ流してゆくが「座って過ごす時間の長さは死亡率に比例する」という内容の記事が目で思わず目が留まった。自らの未来に直接関わっていそうなだけに、放っておけなかったのだと思う。

(ですので、とにかく多数に見向かれる記事を作成したいという方は、
無理やりにでも"自分と関係している"というインパクトを与えてあげれば良いと思います。)

本当はこういう風にだらしなく脳の入り口を開いて情報の海に浸る行為は、不健康かつ無思考な自滅の一路だという結論を出して自粛をしていた。けれど、社会に弾き出されてからというものの、僕の世界は途端に静かになって、それは諸刃の剣でもあるのだけど、まさに僕の顔の方へとじりじりと迫り寄っていた。脳の不活性化が、皮肉にもそれは年中無休で僕の脳味噌を侵し続けているように思えてならなくなった。外界からの刺激が少なく、若い内から脳が老朽化してしまうかも知れない。それは本当に怖い。けれど実際にそうなってしまって御終いな自分を想像すると可笑しい。

瞼を光が撫でる感覚に気付いて、はっと目を開いた。どうやら僕は何年分にも及ぶくらいの長い夢を見ていたらしい。今は何時だろう? 早く学校に行く支度をしないと。PCモニターの右下に映し出されていた時刻は12:00だった。昼間まで寝過ごしていたのだろうか?時刻のすぐ下には日付を示す数列が並んでいる。「2017年」と表示されていたので、ちょっと困惑した。それから、いつも壁に掛けている筈の学生服の姿が無い。黒いハンガーだけが裸でぶら下っているし、微かに埃も帯びている。唯一、母親に渡されたカレンダーだけが、僕の"正しい日付"のままで凍り付いていた。それを見た瞬間に僕は全てを悟って、風船の御終いの様に、溜息そっくりに笑うくらいしか出来なかった。でも、これで予習も課題もしなくて良いのだし、地獄の底のようなあの学校にも行かなくて良いのだと安心した。同時に何故か、様々な感情の織り交じった、形容のし難い紫の色の塊が、胸の深奥から止めどなく込み上げてきた。僕は堪らず両腕を机に投げ出して、その隙間に出来た闇の中へと頭を浸した。嗚咽が止まらないが、涙はとっくに枯れてくれているらしい。半開きの窓の奥からは、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえた。ちょうどアブラゼミとクマゼミが死に絶えた時期から出てくるのだから、実に小賢しいヤツだと思った。窓の近くに置いてある、干からびて枯草と石だけになってしまった水槽が「スー、スー」と子供の寝息の幻聴を始める。無意識に腕をさすった。高速再生のクラシックが鳴り響く。時折混じるノイズで息継ぎをしないと意識が持たない。頭が割れそうに痛い。三角形の見えない蝶々が埃と一緒に舞う。遠い時代に死を残してきたらしい…

ただいま、僕の新しい日常。

精神四季

神経中で回転するバレリーナが四肢四散して方角を定め、たちまち視野が昇る。透明になって隠れている昼の星々に聞けば、ここは古今名高いアルプスの山峰らしい。「オッホ」と呼ばれる全身真っ赤の品種の羊の首が、高速で伸び縮みして柵の横縞の極小シアターの段々を賑わす。風見鶏に備わるフルートが実在音階の18音上を明滅したことで、太った夫人はご機嫌なハバネラで地を震わせた。汗を拭った旦那は手早くオッホを斬首して、精霊に祈る身振りの後に、その首を黄色いプラスチック容器へと投げ込んだ。旦那は手に付いた血糊を指先でほぐして眺めてはウン、ウンと満足げに頷いている。晴天下に曝されるその真赤さの見事なまでのものものしさ。この地方の羊はその血の地獄のように立派に極まる真紅から、食用と言うよりは染料の役目を果たすらしい。中でもそのオッホは子羊時代から上等と見込まれていた為、まさに本日は栄えある命のお披露目の日だった。そしてこんな快晴は洗濯日和で、洗濯ばさみごときの尾っぽの部分が次第にめでたく赤らみ、膨張し、やがて日光の中から現れ来る巨大な図体の鯛の幻覚、これもまた忌々しいまでにめでたい紅白の発色を全身のウロコに携えて、実に煌びやか。焦点の合えばたちまち駆け寄って"エビ"に噛み付く、そうして鳴る大きな乾いた破裂音。鯛もバラバラに飛び散るのである。その破裂音が山々の間を行き交って朝寝坊な生物の鼓膜を揺らし、音の上昇した分は見えるともなくお日様に恵比寿の微笑みを触発する。一日の開始を祝う祝砲であった。



彩り豊かな裁縫の街の山を越えた先には、世にも珍しい真っ青な真珠の名産地として知られる海岸がある。既に無人も納得の、通り魔クラスさえ真っ青の3年前の大殺戮劇である。明星の蒼さを誇るその地の空色を受けて、真珠までもが真っ青に染まっているのではないかと神秘的な噂が棚引くも、その瞳を吸い込む様な絶世の青みは、遂に忌みの根源として市民の思想奥深くに定着し、物乞いや密猟者さえも近づこうとはしなくなった。ある気違いも同然の物好きが持ち帰った、深夜の海岸の光景に依ると、そのかず数百にも及ぶ球形の霊魂が鯨の悲鳴を発てて、海と空の間を何度も登ったり落ちたりを繰り返していたという。



駅のホームの裏側にある、陽当たりの悪い林に来ている。ここを吹く風は涼しいが、風の中には微かに腐臭らしいものが混じり、たまに烏も啼いている。清涼飲料水の色あせたパッケージを見つけた。しかも期間限定らしい。お菓子や食品のビニール包装は山ほど捨ててあって、こういう場合にカラフルであることは余計に汚らしく見えるから、敢えてパッケージを地味な色で統一するという案を思い浮かべたが、目立つ色にしておくことでゴミ拾いをしやすくなっている可能性も浮かんできて、ぶつかり合って相討ちを果たした。人形の頭が落ちていて、しかもわざとらしく目玉を刳りぬかれていた。悪戯か、またはホンモノか。スマートフォンが二度振動した気がしたが、画面には何の通知も出ていなかった。錯覚か不具合だったらしい。こういう場所では決まって木々が不機嫌で、苦しみ悶える姿でうねっている。木の裏側に縄が落ちていた。先端には上手に結われた輪っかが一つ。カメラを起動するとスマホがフリーズして動かなくなった。こっちはホンモノかも知れない。それはさて置いて、木漏れ日が描く小さなの円の中を、丁度良く咲く一厘の白い花あった。
この世界も捨てたものじゃないと思うが、胸を張って次代に見せられるような代物でもないと思う。
仮に世界を終わらせようとする人が居るとしたら、幾らか同情の気持ちを持ってしまうだろう。



現在、僕の眼前には見上げる程の金色の門がある。それは豪華絢爛極まった意匠が足元から天辺までを隙間無く埋め尽くしていて、しかも不思議なことに、城や館の入り口として備わっているのではなく、明らかにひとつがいの門だけの姿で空間に立ちはだかっているのである。神聖でかつ恐ろしいとでも言うべき、これまでに見たことの無いような雰囲気を放っているが、強いて言い表せばこの感じは仏教的かも知れない。例えば自己の存在や消滅など、そんな極めて深刻な異変が起きる予感に満ちていたので、これが夢ならばなんとか早めに覚めないものかと焦りを感じていた。周囲を見渡すと、辺り一面は目出度いまでに新緑色の晴れやかな草原であった。こういう場所なら犬の散歩をしている人や家族連れの後ろ姿の1つや2つはありそうに思えたが、そんな気配が少しも無く、どこまで視線を伸ばしたところでひたすら無人の空間を、見渡す限りに生い茂った草が潮騒そっくりに、大声でざわめいているくらいだった。どう仕様も無くなって全身に力を込めて目を瞑り、夢なら早く覚めるようにと念じてみたが、無情にも変化は無く、在りがちな方法で頬をつねってみてもただ痛いだけだった。そうこうしている内にふと、空気中に潮の匂いが混じっていることに気が付いた。妙なことだった。海などは何処にも見当たらないのに。しかし、それが門の隙間から漂ってきていることに気が付くと、今度は何故か懐かしいという感情が腹の奥から込み上げてきた。更に恐怖と、逃げ出したいような感情までが、見えない波の様に次々と押し寄せてきて忙しい。そうして最終的には諦めのような心で静まっていた。
 "満を持した"と言わんばかりに、門がゆっくりと開き始める。
続けて、扉の中には何か強大な圧が渦巻いていることを、見えるともなく肌身で感じた。
「あ、これはあの感覚。」
すぐ目の前を高速の電車が通過する時の、あの感覚にそっくりだ。
「ああ、結局、僕はまた生まれないといけないのか…」



<終>
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