静かな部屋 断続的スローモーション

陶器のカエルが一人掛けの赤いソファの上を飽きもせずに跳ね続けている。無表情で壁を眺め続けているだけの僕に向かって、カエルは「同じ物事を指す言葉でも国によって様々で面白いから、暇なら調べてみれば」と気の利いた提案をするも、僕の落ち着きのない意識はすでに白いテーブルの上の砂時計へと引っ越していて無効だった。



大男に襟を掴まれて深い森の奥へと引きずり込まれてゆく老人。元来た道を忘れない様に右目のカメラを使って一定間隔で風景写真を撮っている。「でも、日が暮れた頃には森は真っ黒になっていて昼間のような風景は見えないよ」と不安がる観客に向けて左目のライトでカチッとウインクを配る。



カーテンが膨らみ、部屋に賞味期限の新しい風を招き入れた。
窓から差す日はテーブルを照らし、上に置かれていた一粒のイチゴも照らされた。
イチゴは小刻みに震え始めた。
次の瞬間にはイチゴにびっしりと纏わり付いていた種が銃弾のようにはじけ飛び、種があった位置には代わりに細く小さな白いトゲのようなものが生えてきた。
何本ものトゲは見る間に伸びゆき、イチゴを本体にしてひょいと立ち上がり、そのままテーブル上をトコトコと歩き始めた。
トゲだと思っていたものは全て触手だったらしい。
これはイチゴに擬態した新種の生物なのか、或いはイチゴの中に何者かが住み着いているのだろうか。
そんなことを考えているとそれは突如進行方向を変えてこちらに向かって来たので咄嗟に近くにあったティッシュ箱叩いて吹き飛ばした。
壁に激突したそれは衝撃を察知して白い触手を全て引っ込めてしまったのか、床に落ちたそれは種さえ無くなってはいるものの至って平凡なイチゴの姿に戻っていた。
一度も読んでいないポスティング広告を使って恐る恐るイチゴを救い上げ、キッチンにあった二本の菜箸を使って分解を始める。
中身は微かに抉れたような跡があったものの、不思議なことにそこにあったのは特に異変の見られない普通のイチゴの中身だけであった。
すると先ほどまでの奇怪な光景はなんだったのか。
単に寝ぼけて幻覚でも見ていたのだろうか。
呆気にとられている私の視界に、無数の触手で水槽の底を這う珍妙なネオンテトラの姿が映った。



コンクリート塀から垂れ下がっている細長い鎖の先端には金色をした金属製の輪っかが付いていた。
電柱の影からでてきた二足歩行のキリギリスはトボトボとその前まで歩いてゆき、
頑張って自作したらしい木の枝のハシゴを立てておもむろに登り始める。
頂上に着いて金属の輪っかを両手で抱えたところで、電柱の上部のスピーカーからは「おー! 一気にグイッいけ!」などと楽しげな声援や手拍子が鳴り響いた。
キリギリスの体重によって鎖は塀の奥からジャラジャラと音を立てながら引きずり出てきたが、途中でガチッと音を立ててつっかえてしまった。
好奇心が僕の脚を勝手に動かし、気付けた時には塀の側に立っていた。
無理やり鎖を引っ張ってみると、頭蓋骨に響くような不快な擦れる音と共にそれは出てきた。
手のひらサイズの丸く平べったい物体だった。
鎖と同じ金色をしている。
周囲を一周する細く僅かな隙間から、それが開閉式の物体であることが想像出来た。
端の小さな窪みに爪を引っ掛けて蓋を開くと、僕は踊るように奇妙に歪んだ二本針の時計と対面することになり、一瞬、自分の年齢を忘れてしまった。
気付けばグレープ色に変色していたキリギリスの死体が輪から外れて頭からスローで地面に落ちたのは悲劇的な演出だったのだが、先ほどまで大声で捲し立てていた人々はもはやキリギリスからはすっかり興味を失っていて、事の最重要なピリオドであるその瞬間には気付いてさえいなかったらしく、それもまたキリギリスの新たな体色同様、救い用のない紫色の悲劇であった。
さて、キリギリスはどうして自殺したのだろうか。
「それは単に彼がキリギリスだったからだ」という浅はかな答えにはとっくに飽きてしまっている。



何処から連れてきたのかさえ忘れてしまった灰色の空気が壁に染みこんで抜けないこの部屋で
日常はマトリョーシカ人形のように同じ模様で連続し、尚且つ徐々に縮小していっているのがわかる。



オルゴールの中で飼われる陶器製の黒い鳥は飼い主が窓を閉め忘れた僅か2分の隙を見逃しはしなかった。的無きダーツのような勢いで世界に飛び出すと、路上を埋める無数のセミたちの死骸が見えた。痙攣する枝のような脚から察するに中にはまだ息のある者もいたようだが、鳥は一秒でも時間が惜しいと目の端だけで軽くあしらって故郷へと向かう。
太陽が地上を制する真夏日であった。
日光がぬらりと陶器製の体表を舐め、意識の遠のくような熱を帯びさせてくる。
当てはないし、そもそも自分に故郷があるのかどうかさえ自信はなかったが、鳥はどうしようもなく衝動に突き動かされ
黒い線に見える程素早く、ただただ空を飛び続けている。



自分の好きな色の紙切れ一掴みで作った万華鏡の中の宇宙を一人で気ままに漂っている時間に、電話のベルが邪悪なクトゥルフのように宇宙全体を覆いつくしたせいで、私は世界ごと消滅してしまいました。とっさに出た溜め息が唯一の遺言だなんて、あんまりです。